予測不能なブラックコメディに、全インドが喝采! 騒然!
原題:Andhadhun (Hindi/ 2018)
日本公開日:2019年11月15日
配給:SPACEBOX
監督:シュリラーム・ラーガヴァン
出演:アーユシュマーン・クラーナー、タブー、ラーディカー・アープテー
音楽:アミト・トリヴェーディー
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[作品紹介]
盲目のピアニスト・アカーシュは、交通事故をきっかけにソフィに出会い、彼女の父が経営するピアノバーでの演奏の機会を得る。俳優のプラモードに気に入られ、アカーシュは自宅でのプライベート・コンサートの依頼を受ける。プラモードの家を訪れたアカーシュは、不運にもそこで殺人事件を〝目撃〟し、妻のシミーから「見ていないか」疑いをかけられる。そこから始まるジェットコースター・スリラー。
ピアノを猛特訓し、手の吹き替えなしで演技に臨んだアーユシュマーン・クラーナーは本作で国家映画賞の演技賞を受賞。作品も、同賞ヒンディー語映画の最高賞に輝いた。老俳優の「トロフィー・ワイフ」を演じるタブー(ライフ・オブ・パイ/虎と漂流した227日)の美しく狡猾な表情も見どころ。公開から1年後、オーストラリアでの映画祭授賞式でのタブーのコメントがきっかけとなり、エンディングをどう理解するのか議論が再燃。監督自身も驚かされたという。
[映画評・資料]
『盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲~』――桜庭一樹のシネマ桜吹雪
インドのヒッチコック 桜庭 一樹(週刊文春11月28日号)
https://bunshun.jp/articles/-/15693
インド映画の概念を覆すブラックコメディー 「盲目のメロディ~インド式殺人狂騒曲」シネマパラダイス(zakzak by 夕刊フジ11.16掲載)
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/191116/enn1911160006-n1.html
盲目のピアニストが殺人を“目撃”?! 予測不能サスペンス『盲目のメロディ ~インド式殺人狂騒曲~』ライター:松岡環(Banger!!! 11.13掲載)
https://www.banger.jp/movie/21686/
【シネマプレビュー】盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲(産経新聞 11.22掲載)
https://www.sankei.com/entertainments/news/191122/ent1911220004-n1.html
[DVD & Blu-ray]
[蛇足情報]
ヒンディー語映画界2018年の話題は『盲目のメロディ』だった
ヒンディー語映画だけでなく、インドではどのメディアも、話題の中心は常にトップスターの出演作にまつわるニュースだ。映画賞のレースも同様で、トップスターの作品中心にノミネートされてきた。けれどもここ最近、その傾向が薄らいでいると感じる。ヒンディー語映画2017年の賞レースでは「3カーン」の存在感が薄く、出演本数は多いが賞からは縁遠いアクシャイ・クマールは1作品がノミネートされただけ。一方で、大きな存在感を示したのが中規模作品だった。この年の映画賞の中心は、僻地の村での選挙をテーマにした『ニュートン』(原題:Newton /大阪アジアン映画祭2018にて上映)、ある小説を通じて出会った若者3人の三角関係を描いた『バレーリーのバルフィー』(原題:Bareili Ki Barfi/インディアンムービーウィーク2019にて上映)の2作品だった。
そして2018年。『バレーリーのバルフィー』での好演が印象的だった俳優、アーユシュマーン・クラーナー主演の本作『盲目のメロディ』は、公開前のプロモーションが皆無だったが、10月5日に公開されるやいなやSNS上に称賛のコメントが相次ぎ、突如話題の中心になった。同月の18日には、同じくアーユシュマーンが主演の、高齢妊娠した母をとりまくファミリーコメディ『Badhaai Ho(おめでとう)』(未)が公開された。『Badhaai Ho』は当初8月公開の予定だったが、製作の遅れで公開が延期になり、アーユシュマーンの主演作2本が同じ月に興行対決する結果になった。
同じ月に2本の主演作品が公開されながらも、そのいずれもが興行面での成功だけでなく批評家にも高く評価されたアーユシュマーン・クラーナー。『Badhaai Ho』はこの年の興収トップ8位にランクインし、『盲目のメロディー』も年間19位のヒット(Box Office Indiaデータによる)となった。
俳優キャリアの転換点となった「盲目のピアニスト役」
アカーシュ役のキャスティングは、アーユシュマーンからの熱烈なリクエストから実現した。
「ラーガヴァン監督と仕事をするのが夢だった。ラーガヴァン監督は素晴らしいスリラー作品を撮る監督だから、常に関心を持っていた。脚本にはとても驚かされた。5分おきに驚きの事実が起こるんだ。ダークなストーリーだとは知っていたけれど、強烈なユーモアもある。ミュージシャン役を演じられるのもとても楽しみだった」
「デビューしてから6年。これまでに演じた役は、日常を切り取ったような作品が多かった。そろそろイメージを変える役を演じたかった。それで、ラーガヴァン監督に、一緒に仕事をしたいと携帯電話でテキストメッセージを送った。監督はすぐにスクリーンテストに呼んでくれた。僕の演技を気に入ってくれて、一緒に映画づくりを始めることになったんだ」。アーユシュマーンは役を得たきっかけをこう話している。
MTVのビデオジョッキーを経て俳優になったアーユシュマーンは歌手であり、ギターを奏でるミュージシャンでもある。ピアノは初心者だったが、本作品のため約半年間、アメリカのインド系ピアニスト、アクシャイ・ヴァルマの指導を受け、当時5歳だった自身の息子と共に猛練習に励んだ。練習は毎日1日4時間から6時間。
「楽器を習うことは難しくはないけれど、鍵盤が見えない盲目のミュージシャン役は本当に大変だった。さらに、劇中の役はピアノの名演奏家で、弾く曲も相当に難しかった。けれども、アクシャイ・ヴァルマはとてもいい先生で、練習は楽しかったし、ミュージシャンとしても学びを得た」。猛特訓の成果から、劇中ではアカーシュがピアノを弾く姿が手元まで映されている。
アーユシュマーンは、今回取り組んだ難しい役づくりをこう語っている。「役づくりにあたって、視覚障碍者が主人公の映画は観なかった。それよりも人物観察に重きを置いたんだ。ムンバイにある視覚障碍者のための学校を訪問し、ラーフルというピアニストに出会った。彼は素晴らしい人物で、役づくりの参考になった。ラーガヴァン監督の事務所に来て、初めての環境で彼がどう行動するかを見せてもらい、それを演技に取り入れた」。
一方、ラーガヴァン監督は、主役のキャスティングに難航していた。「名前は言えないけれど、大物から新人までたくさんの俳優に会った。けれどもストーリーを伝えるとみな、『腎臓なしで人は生きられるの?』といった質問でつまづいてしまった」。
前作『復讐の町』製作前、同作で主演を務めたヴァルン・ダワンにもストーリーを伝えたことがあるという。「とても面白い映画を企画していてね、と、ストーリーを紹介した。『盲目のメロディ』はとてもユーモアがある作品だと思っていたから。けれども『復讐の町』のストーリーを聞いたら、ヴァルンはその話に夢中になり、それ以上は進められなくなってしまった。その後、ヴァルンは大作への出演が続き、『盲目のメロディ』への彼の出演を諦めた。1年や2年も待つのは嫌だったからね。そこで、新たに俳優探しを始めた」
「まずタブーに会い、彼女の配役を決めた。彼女はいつも『相手役は誰なの?』と繰り返し尋ねてきた。そんな時、アーユシュマーンが電話をくれたんだ。そして次の日に会うことになった。その翌日には彼の出演が決定したんだ」。
盲目のピアニスト、アカーシュ役キャスティングの背景には、ラーガヴァン監督の不運と、アーユシュマーンの「勘」の偶然の一致があった。
原点はヒッチコック作品
ラーガヴァン監督にとって、本作は5作目の長編作品。日本では3作目の『エイジェント・ヴィノッド 最強のスパイ』(12)がDVDリリース、限定公開された。その中の1曲『Raabta』(意訳:つながり)は、約3分間の曲が長回しで撮られている。映画本編よりも評価されたこのソングシーンは、本作の殺人シーンの撮影アイデアとして活用されている。
インド映画というと、豪華なソング&ダンスシーンが盛り込まれたマサラ映画を想起する人は少なくないだろう。けれども近年は減少の傾向にあり、トップ俳優の大作でない限り、フルコーラスの豪華なダンスシーンを目にすることは少なくなっている。一方で、ドラマに主軸を置いた作品が興行的にも成功を収めている。近年では、ヒンディー語映画『女神は二度微笑む』(12)、マラヤーラム語映画『Drishyam』(13)など、優れたスリラー作品も生まれている。
ラーガヴァン監督は『Ek Hasina Thi』(2004/未)で長編監督としてデビューして以来、高く評価された『Johnny Gaddaar』(07/未)、『エイジェント・ヴィノッド 最強のスパイ』『復讐の町(原題:Badlapur)』(15/映画祭上映)など、スリラーを主軸にした作品を撮り続けてきた。その原動力を「子どもの頃からスリラー小説を読むのが好きだった。アルフレッド・ヒッチコックはすべてのストーリーを自らが書いたのだと信じている。けれどそれはのちにフランチャイズ化(※)されてしまったようだけれど。その後はスリルのあるヒンディー映画を観るのが好きだった」と話している。
※ いわゆるシリーズものだが、インド式は前作と設定は同じだがストーリーが連続していないパターンが一般的。「フランチャイズ」と呼ばれる。
フランソワ・トリュフォーへのオマージュ
この作品は、2本のフランス映画からアイデアを得ている。「主人公は盲目のピアニスト」「訪問先で殺人事件に巻き込まれる」という設定は、フランスの短編作品『ピアノ調律師』(原題:L’Accordeur/ 2010/ 監督:オリヴィエ・トレイナー)から。そして、ピアニストがターゲットになる設定は、フランソワ・トリュフォーの『ピアニストを撃て』(原題: Tirez sur le pianiste, 英題: Shoot the Piano Player/ 1960)から。製作途中まで「Shoot the Pianist」の仮題で製作が進み、カチンコにもそのタイトルが使われていた。だが、公開前にヒンディー語のタイトルに変更された。
物語の終盤、トリュフォー監督作品へのオマージュが映る場面がある。ソフィーが町で偶然見つけたポスターに書かれたアカーシュのバンド名は「アズナヴール・アンサンブル」。トリュフォー作品に出演したシャルル・アズナヴールへのオマージュだ。「誰も気づかないと思うけれど、アズナヴールの名前を使わせてもらったんだ」とラーガヴァン監督は明かしている。映画の公開直前の2018年10月1日、アズナヴールは逝去した。
作品のエンディングには当初、ハリウッドやヨーロッパ、そしてヒンディー映画の中に登場するピアニストの演奏場面をつなぎ合わせた画像が用意されていた。中には「キング・オブ・ボリウッド」で知られる、シャー・ルク・カーンが登場する場面もあった。インド公開版では著作権の問題をクリアできず、残念ながらその映像は公開直前にやむなく差し替えになったが、幸運にも、日本公開版ではその部分が残されている。
物語を暗示する小道具『トロフィー・ワイフ』
劇中で、シミーが読んでいる小説は『アニータ:トロフィーワイフ』。年の差がある若い女性と結婚した老齢男性の殺人事件を描いた、スジャータ・ランガラジャン(1935 – 2008)の著書だ。タミルの人気作家スジャータ・ランガラジャンは、マニ・ラトナム監督の『頰にキス(原題:Kannathil Muthamittal)』(02/映画祭上映)の脚本も手がけている。ラーガヴァン監督はムンバイの生まれだが、家族は南インド・タミル系。タミル語で書かれたこの小説を母親が読んでいたのを目にし、映画の中で使おうと思いついたのだという。「タッブーの役に個性を添えるのにぴったりの小説だった」。けれども自身はタミル語を話せないため、英語版を小道具に使った。
タブー、「毒婦」への挑戦
1985年にヒンディー語映画でデビューして以来、ベンガル映画、南アジアのテルグ、タミル、マラヤーラム映画、果てはハリウッド作品まで、言語のボーダーを超えて、ドラマからコメディーまでさまざまなジャンルの作品に出演してきたタブー。本作では悪役を見事に演じきり、数々の演技賞に輝いた。
豊富なキャリアから、タブーは脚本を厳しくチェックする。簡単には出演の了承を得られない俳優だ。けれども、ラーガヴァン監督のこれまでの作品や仕事ぶりを知っていたタブーは、監督と組むことをとても楽しみにしていたという。「この作品は、犯人探しを楽しむミステリー作品ではなく、エンディングでもタネ明かしがない。シュリーラム監督は風変わりな作品をつくったが、それが監督の作風。冷静に徹する役を演じるのは難しかったけれど、自分の殻を破ってくれる役だった」。劇中では時に、官能的な雰囲気も漂わせているが、「自分の性的な魅力について、特に考えたことはない。それは、観客がどう理解するかにもよると思う。私の行動、発言は、私自身を反映するものだから」。
インド国家映画賞の「ベスト・ヒンディー語作品」
2019年8月10日、インド国家映画賞が発表に。本作はベスト・ヒンディー映画、最優秀脚本賞に選ばれ、アーユシュマーン・クラーナーが最優秀男優賞に輝いた。発表当時、監督とタッブーはインド映画祭への出席のため、豪・メルボルンに滞在中だった。監督は知らせを聞き、「驚きのあまり、ホテルの部屋から出られなかった」という。『URI/ サージカル・ストライク』に主演したヴィッキー・コウシャルとともに、アーユシュマーンはインド国家映画賞最優秀男優賞の栄冠を手にした。
Winning a National Award is truly humbling and gratifying. I’m forever grateful for the love I’ve received! Also, a big hug and congratulations to my bro @vickykaushal09 ..
— Ayushmann Khurrana (@ayushmannk) August 9, 2019
古き佳きボリウッドと「名優」プラモード・シンハー
インドのポピュラー・ミュージックの中心は、映画の挿入歌。古い時代の曲を聴き、その時代を懐かしむ。冒頭に登場するオールド・ボリウッドソングは、『ハネムーン』(1973)からの「Mere Pyase Man Ki Bahar」(あなたは私の渇きを潤す雨)。アニール・ダワンとリーナ・チャンダヴァルカールの声を吹きかえる歌手は、現役のボリウッド伝説シンガー、アーシャ・ボースレー(1933年生まれ)とキショール・クマール(1929–1987)。
毒婦に殺されてしまう名優プラモード・シンハーは、映画のこの曲の場面を見て、自身のキャリア最高の日々に思いを巡らせる。実は、この劇中歌に登場するのは、プラモードを演じるアニル・ダワン自身だ。1950年デリー生まれで、1970年に映画デビューし、今も現役。弟のディヴィッド・ダワンは映画監督で、ラーガヴァン監督の『復讐の町』に主演したヴァルン・ダワンは甥にあたる。
綿密に組まれたストーリーと人物設定。劇中で使われる小道具や映像まで手が込んでいる『盲目のメロディ』。監督としてのキャリアにおいて、スリラーひとすじに入魂してきたラーガヴァン監督の熱意が昇華した一作に仕上がっている。